Directors’ Statement

mamoru

ちょっと私に付き合ってもらって良いですか? あなたはある建物の前に立ち、何かしらの簡易作業をおこなっている工場のようにも見えるが壁に貼られたポスター類を見ておそらくここで確かなのだろうかと思いながら、トタンに木製の取っ手をつけただけの引き戸を開く。中は思ったよりも大きく明るい、天井は想像していた通り高く、剥き出しのコンクリートの床を備えた空間が眼の前に広がる。あぁ明るい、という安堵感とともに、床にたくさん並べられたドラム缶(よりは直径が大きいが)を底向けにひっくり返したようなテーブルとそれを囲む椅子に座った人々をざっと見渡し、見知った顔が居ないことに気づく。「いらっしゃいませー」という威勢の良い、若い声の重なりがあなたの認識を占めていく。声の方を向き、一段あがったようにして大きな厨房があり(鍋や皿や大きなステンレス製のシンクだの業務用冷蔵庫が彼らの背後に見えた)、あなたは一人の若者に目をやり、髪を金に染めていること、おそらく眉も整えていること、大学生に見えること、が脳内をよぎるのを感じつつ、予約したAの一行はどこかと問う。すると、彼は「お2階へどうぞ」と階段の方を指差すと厨房へと立ち戻っていった。 階段を上がるあなたには大声で歌う集団の声が聞こえる。集団は♪あした〜きみに会〜う〜君に会う〜そーれでーしあ〜わせー♪(あなたは後にこの歌は”踊ってばかりの国”というバンドの”それで幸せ”という歌だと知る)というメローなフレーズを万感の想いを十二分に込めながらメローなテンポで何度も何度も繰り返しうたっている、というより叫んでいる。あっけにとられ、2階のフロアに呆然と立ち尽くすあなた。なんだかまずいところに来たんじゃないか?と詰問するこれ以上無いくらい確かな不安と同じくらいに確かな闇があなたの目の前には広がっている、というわけではないが、間接照明のみを使った古びたラウンジと言ったら少し言い過ぎになってしまう程度の雰囲気の、小さな雑居ビルの1フロアくらいの広さの空間に、幾つものくたびれたソファの連なりが幾つものくたびれたローテーブルを囲み空間全体を区切るように並べられている。壁にはプロジェクターから何やら楽しげな思い出画像が投影されている。その画像に登場してくる人達はいま目の前でこれ以上ないくらいにためらいなくスマホのライトを突き上げ、かざし、ゆらしながら先程のフレーズを、なぜ?そんなにも幸せそうに・・・というか戸惑いはないのですか?ここは焼肉屋の二階ですよ!と怒りに似た疑問をぶつけずにはいられなくさせる空気を全開にしつつ大合唱している。そんな20名ほどの人々の中にマイクをもった二人の男、ひときわ笑い転げている数名の人たちを前にしてあなたはやはり問うのだろう・・・「これは一体何なんですか?」と おなじ小説や漫画を原作とする映画や舞台というのがある。これほどまでに違うもんだろうか?という変化球もあれば、出ている俳優が違うだけでただのリメイクのような類似モノもある。私はこの長大な文によってなんとかあなたを2018年_月_日に実際に行われたはずのSchool-in-Progressの打ち上げ会場へと少々大げさにお連れしてみることを試みた。とは言うものの、数年間の時を経て脚色あるいは脱色されただろう私の記憶の中にあるあの場所と時間。そこに居た(はずの)20数名の人たちの経験というのは間違いなく同じ原作をもとにしてはいるが、きっと主人公もテーマも何もかも違う映画のようなものだろう。それに加えて、上の文章を読むことで思い描いただけのあなたの経験(と呼んでも良いなら)にいたってはあなたの想像力と集中力と誤解が生み出す可能性に満ちた世界になってしまったかもしない。なんにせよ何かを振り返るということは可能だろうか?そしてそれはいったい何なんですか?ということ。2020年度のSchool-in-Progressはこの際だからずばりこの問いを核におく。


山本高之

2020

2020年、世界中でいろいろなことが起こったし、いろいろなことが起こらなかった。 コロナ・ウィルスの世界的蔓延が起こらず、オリンピックが開催されていたとしたらどんな出来事があっただろうか。たくさんの競技に出るたくさんのアスリートたち。新聞にもSNSにも電車の中吊りにも中華屋のテレビでも連日何らかの情報が流れ続ける。ラジオでもコンビニでも居酒屋でもドンキでも、どこに行っても公式ソングを耳にする(ちょうど鬼滅の刃の歌やドルチェ&ガッバーナの歌のように)。メダリストから何人か新しいスターが生まれ、インタビューの際のコメントは流行語大賞の候補になり、その選手は年末にはCMに出ている。駅の大きなポスターにも、手にしたスナック菓子のパッケージにも、サイトの中のどこかのバナーにも、見ようとした動画の前にも、その選手の顔を繰り返し目にするようになる。でもその頃にはオリンピックの記憶も少しずつ薄れ、次は大阪万博を成功させよう!とアンバサダーのアイドル・グループが歌うテーマソングが流れ始める。 これらのルーティンは私たちに直接関係ないところで企画され実行され続け、私たちの生活空間や頭の中の一定部分を占め続ける。そしてその「共通の」記憶は共通言語となり私たちを繋ぐのだ。 本当に? こうした出来事が起こらなかった2020年を私たちはすごした。今すぐに私が思い出すのは、mamoDが車の天井に付けるキャリアを買ってきて、それの装着を手伝ったこと。そしてそれがダサいから付けるのやめるという決断を彼がしたこと。その時テーブルの上にあった炭酸水の入った小さなグラスの周りについた結露した水。私たちは人工的に作り出されたメガイベントの記憶だけでなく、花の匂いや暑い夏の麦茶の味、初めて自転車に乗れた時の感覚のような小さな体験の記憶では繋がることはできない?

2020+1

コロナによって移動できなくなったこの夏の間中、僕とmamoru Dと赤井Pは、熱暴走一歩手前のスマートフォン越しに過去の参加者たちにインタビューを行った。それぞれの視点から語られたスクールの記憶は企画した僕らにとって新しい発見ばかりであった。今回のスクール・イン・プログレスは、これまでのスクールの活動を新しい受講生と共に振り返ることにした。自分が経験していない過去を、他者の証言を元に組み立てていく。アート業界で働くことに関心のある参加者には「アーカイブ」作業のトレーニングとなるだろう。しかしそれ以上に、他者の過去を追体験し想像することで自分を見つめなおす機会ともなるはずである。コロナ禍はいつか終わる。その未来のために、今は体に気をつけて。


共同ディレクターによるセルフ-イントロダクション

mamoru, 山本高之による活動紹介(事前収録)

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